矢田地蔵道標に思いを馳せて【玉造】

歴史・伝統

JR玉造駅から東に1分の「玉造駅東商店街」は暗越奈良街道の起点にあたり、二軒茶屋や黒門橋(通称石橋)の跡地として色々な史跡が残る。

玉造駅東商店街はその昔、「中道新建屋」と呼ばれる小遊所(いわゆる遊廓)であった。
1872年(明治5年)明治政府による「芸娼妓解放令」により小遊所は営業禁止になり、また、「前借金無効の司法省達」 により借金で縛られた年季奉公人である遊女たちは小遊所から解放された。
しかし、両令は売春そのものを禁じたものではない為、小遊所が禁止された後も「白ゆもじ(江戸時代、風呂屋などにいて、客を取った私娼。湯女(ゆな)の類)」と呼ばれる私娼がいたという。

そんな玉造駅東商店街を東に少し歩いたところに、矢田地蔵尊がたたずむ。

矢田地蔵尊は、道標にお地蔵さまは彫られています
とても綺麗に管理されています・・・
お地蔵さまではありますが、基本的には道しるべなので、前掛けをすると道しるべが読めないのでは・・・と、気になります。

地蔵尊の前には、「地蔵道しるべ」と記した石碑があり、そこには

「矢田地蔵尊 此より東」
「従是(ここより)二り松原 一り余りくらがり峠 一里余小瀬(おぜ) 一り矢田山」

と、大和郡山の矢田寺までの道のりが記されています。

矢田寺は、日本最古の延命地蔵菩薩を安置し、「矢田のお地蔵さん」として親しまれ、あじさい寺とも呼ばれています。
一里は約3.9㎞
ここから約7.8㎞東へ行くと松原に着きます。
松原は花園ラグビー場の北側にある、かつての宿場町です。
さらに3.9㎞東に進みます。道中、生駒山の急こう配に苦しみ、暗峠で一休み。
そして、峠を越え、3.9㎞、生駒山を下ると小瀬が見えます。
小瀬は近鉄南生駒駅周辺の街で、ここもかつての宿場町。
あと一里で矢田山、矢田寺に到着。

大和郡山といえば、大和郡山城が想起されます。
豊臣秀吉の弟秀長がその城主となったことで、大坂城と大和郡山城の行き来が頻繁になり、暗越奈良街道の整備が進んだそうです。地蔵盆の時には、今でも、大和矢田寺から遥々お参りにこられる方がいるそうです。

信仰は受け継がれ、街道も続く。

所在地
〒537-0024
大阪府大阪市東成区東小橋1丁目4−3
プラスコード:MGFP+H2 大阪市、大阪府

出典、引用
Wikipedia 芸娼妓解放令 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A8%BC%E5%A6%93%E8%A7%A3%E6%94%BE%E4%BB%A4
弁護士楠博匡がゆく 大阪東方見聞録 https://ameblo.jp/try-law/entry-12188261709.html